男の顔が…いや、唇が、妻の唇へと近付きます。
妻はこの男の口付けを本当に受け入れるつもりなのだろうかと、私は気が
きではありませんでした。
しかしその時です――ハッと我に返ったように顔を上げた妻がグイッ…
と男の身体を押し返したのです。
息も詰まる思いで見ていた私も、ホッと胸を撫で下ろしていました。気付
けば掌は滲み出た汗でグッショリと湿っています。

「…ヒロユキ君…本当にごめんなさい…あなたの私に対する気持ちが本
気だと言うことは、充分理解できるわ…でも、もう何度も言うようだけど
…私の気持ちは変わりません…私は今の生活を壊す気はないの…それに
…主人のことを今でも愛しているんです…」

ゆっくりと男を諭すように告げる妻の言葉に、メラメラと燃え上がってい
た嫉妬心が少しだけ鎮まるのが判りました。
今までにどんな経緯がこの二人の間にあったのかは勿論気になるところ
でしたが、最終的に妻の出した結論は私の事を選んでくれたのです。
それも私を目の前にしてではなく、やんわりと遠回しにでも断れるような
私が居ない状況の中で、妻ははっきりと男に私の事を愛していると告げた
のです。

「嘘だ!…それって、由紀子さんの本当の気持ちじゃないでしょ!?…ね
えッ、もう世間体にとらわれるのはやめて…そんな体裁だけの言葉じゃな
く…由紀子さんの本当の気持ちを聞かせてよッ!?」

男は妻の肩を揺さ振るようにしながら尚も詰め寄ります。

「判ってッ!…これが私の本当の気持ちなのッ!…ヒロユキ君が私の事
を想ってくれる気持ちは嬉しいけど…私はそれに応えることは出来ない
のッ!…ごめんなさいッ…ごめんなさいッ…」

「そんなのッ!…そんなの信じられないよッ!」

男の手を払い除けようとしながら告げる妻に、ヒロユキと呼ばれる男は尚
も食い下がるようにして妻の肩にしがみ付きます。
私はそろそろ潮時だなと思い、意を決してリビングへと踏み込もうとしま
した。
しかしその時です。男の発した言葉に私の身体は硬直してしまうのです。

「じゃあなんなのッ!?…このビデオに映ってる由紀子さんは嘘だって
言うのッ!?…違うでしょ?…これが本当の由紀子さんなんでしょ
う!?…ねえッ!…お願いだから本当の事を言ってよッ!…ねえッ!」

男の言葉に、私はアダルトビデオの事を思い出しました。
妻と男の会話と様子に全神経を奪われていた私は、最初疑念を抱いたアダ
ルトビデオの事などすっかり忘れてしまっていたのです。

男が再びテーブルの上の小さなリモコンスイッチを取り上げ、テレビの方
へと向けて腕を伸ばしました。私はその伸ばされた先へと視線を移します。
そこで気が付いたのですが、テレビの前にはハンディタイプのビデオカメ
ラが置かれています。それから伸びるコードがテレビの正面にある入力端
子へと繋がっていました。
ビデオカメラが我が家の物ではないと言う事はすぐに判りました。と言う
事は、それは男が持ってきた物なのでしょう。そして、先程まで画面に映
されていた映像もこの男が撮影したものであろうと推測できました。

男がリモコンの再生ボタンを押したのでしょう、テレビの画面には再びア
ダルトビデオが映し出されました。

(…えッ!?)

私は一瞬で度肝を抜かれてしまいました。
テレビの画面に視線を集中すると、そこに映し出されている男と女の姿は、
紛れもなく今ここに居る若い男と、そして私の妻である由紀子だったので
す。