「まったく、なんてところに住んでやがるんだ」
目の前にそそり立つ鉄格子を見上げながら、吐き捨てるように言った。
立ち向かっていく敵の大きさに対する畏怖の念が口をついて出たのだった。
その巨大な鉄格子の遥か向こうに、まるでヨーロッパのシャトーを思わせる建物が見える。
悲痛な思いで家を飛び出し、車を走らせること一時間。カーナビが導いたゴールポイントは、
海を見下ろす小高い丘の上に建つ巨大な屋敷であった。
車から出た私は、インターフォンのようなものがないか、門の周りをウロウロと探しまわった。
右の門の中ほどの高さのところに「NAGI」の表札が見える。
結局それらしいものは見つからず、はて、ここから大声で叫んでみようかと思っていたときだった。
突如その巨大な門が、ギギギッという軋んだ音を立てながら重々しく開き始めた。
鉄格子の上にとまっていた数羽の鳥が、一斉に飛び立った。
「おお・・・」
“ギギギッ、ギー” ゆっくり、ゆっくり、門が開いていく。
それはさながら、私を飲みこまんと、あんぐりと口を開ける巨大な怪物の姿であった。私
は今、無謀にもその体内へ乗り込もうとしているのだ。
“行ってどうなる? それで事態は好転するのか!?”
わからない・・・。
だが、じっとなんてしていられない。このままやすやすと響子を譲り渡すわけにはいかないのだ。
そのためならなんだってやる。なりふりなどかまってはいられない。泣き喚き、地団駄を踏む醜態を見せてもいい。
いざとなれば、ヤツと刺し違える覚悟だってできている。響子は私の命だ。この先、響子のいない人生など何の意味があろう。
誰にも、誰にも渡すもんか!
そんな悲壮な決意を胸に、私は再び車に乗りこみ、大きく口をあけた“怪物”の中へと突き進んで行った。


屋敷の中へ入ってもさらに道は続き、くねくねと右へ左へ曲がりくねった末に、
学校のグラウンドほどはあろうかという広場のような庭に出た。目の前に、門の外から見えていた灰色のシャトーが聳え建っている。
その建物の前で車を止めた。
私が車から降りると玄関の扉が開き、一人の男が現れた。
“こいつか?!こいつが凪なのか?!”
男はゆっくりと私に歩み寄り、
「ようこそお越しくださいました。旦那様がお待ちです。こちらへどうぞ」と深く腰をおりながら、玄関の方を指し示した。
“凪ではないのか・・”
恐らく執事のような仕事をしている男なのだろう。
私はフーッと長い溜息をつきながら歩を進め、男に促されるまま、館の中へと足を踏み入れた。


玄関ホールは、まるでホテルのロビーだった。
5、6人の大人が横に並んで昇れるほどの巨大な階段がホールの中央に位置し、右にカーブを描きながら二階へと続いていた。
あまりの威容に呆然と立ち尽くす私を尻目に、男はスタスタと歩を進め、階段の下でチラリと私に一瞥をくれると、
「こちらでございます」と階上を指し示しながら、ゆっくりと階段を上っていった。
男の後について二階へあがる。広く長い廊下がまっすぐに伸びていた。
玄関ホールがホテルのロビーなら、この廊下はさながら美術館だった。
見るからに値打ちのありそうな絵画が、廊下の左右の壁面に等間隔で飾られている。
“何なんだ、ここは・・・!?響子は、こんな屋敷に住む男と関係があったのか?!”
“夢なんだ、きっと・・・。オレは悪い夢を見ているんだ。”

やがて廊下の終点に辿り着き、男が右手にある扉に手をかけた。
「こちらでございます、どうぞお入りください」と男が扉を開けた。私は、男の言葉に従い部屋の中へと足を踏み入れた。
畳にして十畳ほど、この館のスケールからすれば、かなり小さな部屋であった。部屋の真中に、ポツンと椅子が一脚置かれている。
奇妙なことにそれ以外、家具や装飾の類は一切なく、まるで無音室のような寒々しい空間であった。
訝しく思い、男に話し掛けようと、後ろを振り返った瞬間だった。突然、目の前に二人の大男が現れた。
「な、な・・・・あっ!」
なんと、その大男共が、いきなり私に掴み掛かってきたのだ。
「な、なにをするんだ!?や、やめろっ!」
激しく抵抗するものの、男達の圧倒的な力の前になす術がなく、たちまちのうちに押さえつけられ、部屋の中央にある椅子に座らされた。
「なんのマネだ!離せぇ!」
大男どもが私を押さえつけている間に、案内の男が私の手足を縛りはじめた。
手は背もたれの後ろに、足は椅子の両脚に、それぞれ括り付けられ、口にガムテープが貼られた。何のつもりか、
頭にはヘッドフォンをかぶせられ、それだけの作業を終えると、男達はさっさと部屋を出て行った。
“ガチャリ”とカギのかかる音がした。

“どういうことなんだこれは!? 夢か?、それとも手の込んだいたずらか?”
自分の置かれている状況が理解できないまま、あれこれと思いを巡らせていると、
突如、ヘッドフォンから聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。
「ようこそ、高梨さん」
凪の声だった。
「手荒な歓待をお許し下さい。今日は是非あなたに、本当の響子の姿を見ていただこうと思いましてね」
“本当の響子の姿??どういうことだ!?・・・・・あっ!、な・・・なんだ!?”
突然、“ウィーン”という軽いモーター音とともに、目の前の壁が左右に割れ始めた。
“なんなんだ?・・・こ、これは一体・・・”
次ぎから次ぎへと起こる到底現実とは思えぬ異常な出来事に、私は何が何やら、全く思考が纏まらなくなってきていた。
開いた壁のすぐ向こうはガラス張りになっていて、その向こう側に巨大な空間が広がっていた。
応接間であろうか、なんとも広い部屋である。天井もおそろしく高い。悠に四メートルはあろうか。
部屋の奥には暖炉があり、その前には豪華な織物張りのソファセットがゆったりと配置され、床には見事なペルシャ絨毯が敷かれていた。
そのソファセットの横に、ひとりの男が立っていた。
ブロンドの長い髪、ライトグレーのマオカラーのジャケットにアイボリーのスラックス。かなりの長身だった。

「始めまして、高梨さん。凪 ユキトです」
“この男が凪・・・。響子の昔の男・・・”
なんと美しい男なのだろう。伊能の俗っぽい美しさとは違う、一種荘厳な感じのする独特な美しさを全身に漂わせていた。
「そろそろ、響子が着く頃です。そこから、じっくりと私達の性戯を楽しんで下さい」
“性戯を楽しむ??まさか、そんな・・・!?”
「心配要りませんよ。こちらからそっちは見えませんから。それ、只のガラスじゃないんですよ」
“???”
「マジックミラーですよ」
“マジック・・・ミラー・・・”
「うちの父が、あなた方と同じ人種でねぇ、自分の愛人を他の男に寝取らせて、そこから覗き見てたんですよ。
そのためにわざわざそんな部屋を造ったんですから、ほんと筋金入りの変態ですよ。他に寝室もこんな造りになってましてね。
でも、まさかその部屋がこんな面白いことに使えるとはねぇ。始めて父に感謝しましたよ」
言いながら、凪がゆっくりとソファに腰を下ろし、足を組み上げた。
「私には、あなた方のような人種が全く理解できなくてね。もう、見てるだけで虫唾が走るんですよ。
だからね、ちょっと虐めてやりたくなるんだなぁ、これがぁ」
そう言って、低い声で笑った。
「椅子に縛りつけられ、身動きがとれないうえに、声も出せない。
目の前では、最愛の妻が他の男のイチモツを咥えこみながら獣の嬌声をあげ、随喜の涙に濡れそぼる。
あなた方にとってはまさに涎の出る最高の演出でしょ。楽しみにしてた品評会がおじゃんになっちゃったんだ。
その分まで、たっぷりと楽しんで下さい。ビデオなんかとは桁の違う本物の興奮を味あわせてあげますよ。
なんたってライブなんですからね、ライブ」
そう言った後、凪の眼差しが鋭くとがり、
「決して快楽なんかじゃない。心底愛しいものを他人に奪われるということが、
どんなに辛く、苦しいことか、骨の髄にまで、たっぷりと味あわせてやるよ」と、吐き捨てるように言った。

その直後だった。扉をノックする音が聞こえてきた。
「なんだ?」
「旦那様、響子様がお見えになりました」
“なにっ・・・!響子が!ほ、ほんとに、来たのか・・・。響子・・・”

「さぁ高梨さん、品評会最終章、只今開演だよ」
ヘッドフォンからの凪の囁きに、背筋が凍った